・名護屋城は、豊臣秀吉が全国を統一した直後に大陸に侵攻するために九州および全国の大名に
命じて築かせた城で、わずか半年で完成させた当時全国で大坂城に次ぐ2番目の規模のお城で
した。国の特別史跡に指定されています。
・1590年(天正18年) 秀吉天下統一。対馬の宗氏に命じて朝鮮国の入貢を求める。
・1591年(天正19年) 10月肥前国松浦郡名護屋の地に築城を開始する。
・1592年(文禄元年) 3月築城完成。
*文禄の役 4月より9軍に分かれた約16万の兵が朝鮮半島へ侵攻した。
・1597年(慶長2年)
*慶長の役 明との講和交渉が決裂すると再び14万の兵をもって朝鮮半島へ侵攻した。
(1597〜98) 秀吉没で終戦となった。
本丸跡 | 三の丸跡 | 三の丸跡 |
ruins of main enclosure | ruins of third enclosure | ruins of third enclosure |
馬場 | 名護城絵 | 名護屋城博物館 |
horse-riding ground | picture of the castle | Nagoya Castle Museum |
タブレットVR画像 | ||
Virtual Reality Image |
<城下町>
・名護屋には全国の160家を超える大名が陣を構えて居住したため、当時日本の政治・経済の
中心となりました。武士一族郎党に加え、京都・大阪・堺・博多からの商人も集まり、最盛
期には人口30万人ともいわれる巨大軍事都市を形成しました。
・全国の大名がこのように一地域に居住したのは他に例を見ないものでした。
<名護屋城陣跡>
・名護屋城跡を中心にして半径3kmの地域に約150もの陣跡が確認されています。
・主な大名は、徳川家康・石田三成・豊臣秀保・前田利家・上杉景勝・伊達政宗・生駒親正
小西行長・毛利秀頼・加藤清正・黒田長政・島津義弘 等々です。
<名護屋六坊>
・秀吉は、京都本願寺の譜代・端坊明然(はしのぼうみょうねん)に命じて名護屋に一寺を
築かせ「端坊」と称しました。その後宗儀を広めるために更に坊寺となる六坊(寺)を構え
ました。これらの寺は、名護屋城が廃城となって唐津に移転して今日に至っています。
<唐津城>
・秀吉の家臣であった寺沢志摩守広高が、秀吉の没後1602年(慶長7年)から1608年
(慶長13年)の7年間で、名護屋城の解体資材を用いて築城しました。以後5度の当主
交代を経て江戸時代終わりまで続きました。
<VR画像鑑賞>
・大手門跡から天守閣に向かうまで、タブレットを首に掛けて移動しながら、築城当時の建築
物をVRで観ることができます。当時の城内にいるような臨場感を味わえます。タブレット
は名護屋城博物館の受付で借りることができます。無料。