唐津のランドマーク
石垣修復工事中の天守閣

唐津城の姿

唐津の市街地に近づいてくるとまず目に入るのが、海に面して立つ唐津城の姿です。

唐津は400年以上前に築かれた唐津藩の城下町。唐津城は豊臣秀吉の家臣であった

寺沢志摩守広高が江戸幕府からも統治を許され、慶長7年 (1602年)から7か年の歳月を費やして同13年に完成させたと言われています。現在の天守閣は昭和41年(1966年)、この城址に観光文化施設として新しく建てられた慶長型の模擬天守です。海抜42mの本丸広場に立つ高さ27m、5階建の唐津城は夜にはライトアップされ、唐津市のシンボルとして市民や観光客に親しまれています。

舞鶴城

唐津城は唐津湾を望む満島山(まんとうさん)山頂に築かれました。眼下には城を中心に美しい弧を描いた海岸線が、東は虹の松原、西は西の浜一体の東西に延びています。その景色がちょうど鶴が翼を広げて舞っているように見えることから、「舞鶴城」とも呼ばれています。天守閣5階の展望室からは360度の絶景が広がります。

東唐津の漁港と虹の松原
西の浜一帯
唐津城の石段
藤の花と天守閣

天守閣までの路

天守閣へは木々の緑の中231段の石段を登ります。途中には樹齢100年を超す(2016年現在)天然記念物の藤棚があり、花言葉「歓迎」のとおり階段を登るお客様を迎えてくれます。花の季節には甘い香りが漂い、花房越しに見る城の姿は優美そのもの。さらに大手門の55段の階段を進むと天守閣の全景が現れ、本丸上段広場に到着です。

なお上段広場へはエレベーターも利用できます。

唐津城の謎と史跡指定

初代藩主寺沢氏は二代目で断絶となり、以降唐津藩は五家の藩主が治める譜代藩となります。そのため当時の城の状況を表す史料が残っておらず、唐津城には解明されない点も多くありました。

平成20年度(2008)に唐津市が着手した唐津城石垣再築整備事業による詳細な石垣調査の結果、櫓台、堀跡、旧石垣など築城の状況を示す具体的な遺構が初めて確認されました。さらには初めて金箔瓦が出土するなど、肥前名護屋城に関連する調査成果も得られ、唐津城が築城されたとされる慶長7~12年(1602~1608)より前に、豊臣政権による何らかの拠点が存在していた可能性も指摘され始めました。この調査結果により、2019年3月、唐津城跡本丸がある満島山一帯は「唐津城跡」として唐津市史跡に指定されました。

(唐津城石垣再築整備事業に伴う文化財調査現地説明会資料より抜粋)

天守閣基礎石垣修復工事

唐津城天守閣:

天守閣内部は郷土博物館となっています。

約400年前の実戦で矢を受けたとされる痕を残す甲冑(かっちゅう)を初公開し、Wi‐Fi環境も整備され、スマートフォンアプリで展示品の解説が利用できます。

地階 ウェルカムフロア 入り口 

1階 観光案内・体験フロア(無料):豊臣秀吉などの兜の衣装を着てデジタル記念撮影

2階 唐津の歴史フロア(有料):朱漆塗糸威仏二枚胴具足」 「肥前刀」     

 3階 唐津焼フロア (有料):肥前国産物図考」「中里家寄贈唐津焼」    

4階 交流・休憩フロア(有料):   

5階 展望フロア(有料):360度の絶景パノラマ

歴代藩主:

  初代 寺沢氏 (1595年―1647年)

  二代 大久保氏(1649年―1657年)

  三代 松平氏 (1678年―1691年)

  四代 土井氏 (1691年―1762年)

  五代 水野氏 (1762年―1817年)

  六代 小笠原氏(1817年-1869年)

大手門
唐津城入口

城内散策の拠点:

城内地区には唐津の観光スポットが点在しており、唐津城を拠点に徒歩で散策もできます。

唐津城登り口→5分→西の浜・石垣の路→5分→旧高取邸→5分→大島邸→3分→唐津神社

詳細情報 ご利用案内/唐津市 (karatsu.lg.jp)